【ADPKD体験談】診断から現在まで – 臨床工学技士として、患者として、父親として

はじめに – 3つの立場から伝えたいこと

44歳でADPKD(常染色体優性多発性嚢胞腎)と診断されてから5年。現在、私は3つの立場でこの病気と向き合っています。

🏥 3つの立場から伝えたいこと

  • 臨床工学技士として:透析室で患者さんと接する医療従事者
  • ADPKD患者として:トルバプタン治療を受ける当事者
  • 2人の子を持つ父親として:遺伝の可能性を抱える家族
  • 臨床工学技士として:透析室で患者さんと接する医療従事者
  • ADPKD患者として:トルバプタン治療を受ける当事者
  • 2人の子を持つ父親として:遺伝の可能性を抱える家族

同じような不安を抱える方に「一人じゃない」と伝えたい。そんな思いでこのブログを始めました。

診断のきっかけ – 緊急高血圧症からの発見

44歳のある日、体調不良で近所のクリニックを受診。そこで測定された血圧は収縮期200mmHg超という衝撃的な数値でした。

「すぐに総合病院へ」

緊急高血圧症として即日入院。降圧治療を受けながら、精密検査でADPKDの診断を受けました。

その時の気持ち

    「なぜ自分が?」その時の困惑と不安は、今も鮮明に覚えています。

しかし、47歳で亡くなった父親がADPKDであったことは理解していた。

  • なぜ自分が?という困惑
  • 仕事への影響への不安
  • 家族、特に子どもたちへの心配

現在の治療と生活 – トルバプタンとの付き合い

薬物療法の実際

ADPKDは進行性の疾患ですが、早期からの薬物療法や生活管理によって進行を遅らせることが可能です。

現在の治療:

  • トルバプタン服用:腎機能低下の進行抑制を目的
  • 定期的な検査:1ヶ月ごとの腎機能チェック
  • 血圧管理:降圧薬による厳格なコントロール

臨床工学技士としての複雑な心境

透析室で患者さんと接しながら、「いつか自分も…」という思いが頭をよぎることもあります。

仕事で感じること

  • 患者さんの気持ちがより深く理解できるようになった
  • 透析導入への不安は共通の悩みだと実感
  • 医療技術者としての使命感がより強くなった
  • 透析機器の操作や管理をしながら、将来の自分を想像することも

最大の不安 – 「いつ透析導入になるのか?」

現在の最大の不安は、やはり透析導入のタイミングです。

不安の内容

  • 腎機能がどのペースで低下していくのか
  • 仕事との両立は可能なのか
  • 家族にかける負担はどの程度なのか

前向きに捉えていること

  • 透析技術の進歩を間近で見ている安心感
  • 同僚の理解とサポート体制
  • 患者さんから学ぶ「透析と共に生きる」知恵
  • 臨床工学技士として透析治療を熟知している利点

家族への思い – 遺伝性疾患としての重み

ADPKDは遺伝性疾患のため、家族への影響も大きな課題です。

子どもへの告知の悩み

2人の子どもがいますが、現在20歳を超え、親として病気の可能性を伝える責任を強く感じています。

悩んでいること

  • いつ、どのように伝えるべきか
  • 遺伝子検査を受けさせるタイミング
  • 子どもたちの心理的負担をどう軽減するか

家族支援ハンドブックの作成

そんな思いから、「子どもに説明する際のハンドブック」を自作しました。

ハンドブックの内容

  • ADPKDの基本的な情報
  • 遺伝の仕組みをわかりやすく解説
  • 生活上の注意点
  • 前向きに病気と付き合う方法
  • 家族ができるサポート

このハンドブックが、同じ悩みを持つご家族との対話のきっかけになれば幸いです。

最後に – 同じ不安を抱える方へ

⚠️ 重要な注意事項
この記事は個人の体験談であり、医学的アドバイスを目的としたものではありません。治療に関しては、必ず主治医にご相談ください。

ADPKDと診断された当初は不安でいっぱいでした。しかし今では、病気と向き合いながら日々の生活を大切に過ごしています。

お伝えしたいこと

  • あなたは一人じゃありません
  • 医療技術の進歩により、予後は改善しています
  • 病気があっても、充実した人生は送れます
  • 同じ境遇の仲間がいることを忘れないでください

臨床工学技士として、患者として、そして家族としての視点から、少しでも皆さんの参考になれば幸いです。


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